2000年11月30日
◆文化度
半分、昨日の続き・・・ 地域の魅力として、そこの文化度、というものがあると思います。 むろん、戦国ゲームのように簡単に数値化できるものではありませんが、有形、無形にその高低は大体分かります。 山陰では、旧国名で言うと、出雲、石見、因幡、伯耆という順になるでしょう(多分地域ナショナリズム豊かな人間からは猛反発喰らうと思うから、私見ということにしときます)。 何故でしょうか? 以下は曖昧な知識と推測に基づくので、反論お待ちしていますが・・・ 最大の原因は江戸時代の統治体制にあると思われます。 出雲は雲州松平家、特に松平不昧(ふまい)公の功績が大きく、文化を重んじる気風がありました。 石州も尼子遺臣の亀井家が津和野にあり、小藩ながら(だから?)非常に文化を重んじました。森鴎外を産んだのもこの地です。 一方、因州はと言いますと、備州池田家の分家が統治していました。 しかしこの分家の池田家、統治能力に問題がある主君が度々現れました。 また、大藩のくせにあまり文化を重んじなかったようです。 さらに悪い事に、昭和18年に鳥取大地震で鳥取の町並みが失われてしまいました。 残ったのは大きな城跡と、質実剛健的な調度類でした(これはこれで味はあるんですがね・・・)。 また、伯耆もこうした池田家の領地でした。家臣を城代に置き、間接統治のような形をとっていました。 少なくとも官からの文化醸成はありませんでしたし、民からの文化も伝承されていません。 山陰一商業が栄えていたにも関わらず、民の文化が伝承されていないのは、規模の問題か、統治形態の問題か、どちらか知りませんが、少なくとも「山陰の大阪」と自称していた割には、大阪のように行かなかったのは事実のようです。 また、「鳥取の京都(これも勝手なネーミングや・・・)」と呼ばれた倉吉は、大きく衰退してしまいました。 大山とそこの僧兵が伯耆唯一の文化でしょうか・・・。 こうした事で、鳥取県の街には、あんまり見栄えのするものが残っていないのです。 特に米子なんて、古代から商業都市として栄えてきたにも関わらず、何も残っていない。神戸のように新しい街では無いんです。 ・・・ううむ、池田氏を責める訳じゃないけど、もうちょっと何とかならんかったんかな、と愚痴もこぼしたくなってしまいます。2000年11月29日
◆甲府城天守閣?
母親から電話。「親戚から甲州土産に見聞録っていうお菓子を貰ったけど、東方見聞録と関連があるのか?」
・・・。何でも聞けば分かると思っているのか、訳の分からない事を聞かれる。
「マルコポーロが中国に来たのってフビライのころだぞ。強いて関連づければ『金』繋がりじゃないか?」と適当に答える。
納得してくれないのでHPを調べると・・・どこにも載ってなかった。あんまり有名な土産物ではないらしい。
しかし、甲州について調べてみて、武田信玄の親父が、甲州府中を略して甲府と名付けた事も初めて知りましたが、たまたま見つけたものに、天守閣論争たるものを載せたものがありました。
平成8年に開かれたシンポジウムのもので、その背景を無断で一部抜粋(笑)すると・・・
----------
山梨放送開局40周年記念特別番組「甲府城」の放映(平成7年2月9日)は、放送スタッフの予想をはるかに超えて、甲府市民の“甲府城天守閣復元論争”に火をつけた格好となってしまった。論争は、天守閣復元を求める甲府中央の自治会、商店街関係者に対し、実証資料の不足から慎重論を唱える学識経験者との対立にまで発展した。
----------
・・・ということらしい。要は、地元活性化の切り札として天守閣を再現しようと地元が考えた訳ですな。
実は似たような話が我が米子にもありました。
こちらは天守閣があったことは間違いないのですが、肝心の図面が残っておらず、明治期に撮られた写真が一枚あっただけ、という状態でした。
しかし、洒落にならないほど観光資源に乏しく、松江に観光客を奪われる米子としては、唯一の観光資源として、米子城の復元運動が度々起きていました。
そして城跡をテーマパークのようにしようという案が出来・・・バブルでぽしゃった、と聞いています。
街のシンボル、伝統がないというのも悲しいものです。
ちなみに、高速の米子インター付近にあるお城は「寿城」といって、お菓子屋さんが勝手に作った城です。米子城とは全くの別物ですので、お間違い無く(笑)。
これがシンボルになったら・・・私は悲しいよ。
2000年11月27日
◆景徳鎮
二年坂に行ったときの話。
奥丹の向かいの焼き物屋さんに入ると、和服の上品そうなおばさん(おかみさんという表現の方が正しいか・・・)と、青磁を筆頭とした高めの焼き物が鎮座していた。
焼き物には日本人の名前と一緒に「中国~窯」とか「景徳鎮」とか書いてある。
不思議に思って尋ねてみると、そこの旦那さんと息子さんが中国に行って教えているとのこと。
景徳鎮というと、世界史でも覚えさせられる所で、私の記憶が確かなら、宋代から公用の窯となり、後には遠くヨーロッパまで輸出され、広くその名を轟かせたという有名な所。
当時は技術的にももちろん世界一で、あまりの高価さからヨーロッパ人は必死に白磁の技術を盗んで、ボーンチャイナを作るようになったという話を高校生の時習いました。
「景徳鎮行って教えるって・・・」と言うと、胡散臭がっているように聞こえたのか、女将さんは「笑い事ではないんですよ」と言われました。
女将さんの言うには、文化大革命で技術の多くが失われてしまい、旦那さんがろくろの技術を教えているとのこと。
「あそこは良い土は出るんですけどね・・・今では日本が技術では世界一ですから・・・まぁ恩返しみたいなものですわ」
確かに清水焼をはじめ、焼き物は中国に教えてもらったとはいえ、まさか分家から本家が養子を貰うような状況になっているとは・・・。いくら文革とはいえ、随分驚きました。
そう言えば関西ローカルで新しい登り窯ができた、というニュースをやっていたけど、その窯は中国で使われなくなっていた古い登り窯を、そのまま解体して運んで組み立てたものだ、とのことだった。
見たときには「ずいぶんと無茶するなぁ。金の力でこんなことして問題にならないのかな」と思っただけでしたが、背景としてこのような事もあるのかもしれません。
中国に限ったことではなく、近代国家というものは、文化を保護する主要な機関であると同時に、それを破壊、消滅させる力を持っている。
特に陶器のように技術を伴うものはある意味非常に壊しやすい。
日本刀も、現在ではその技術の多くが失われており、昔ほどの技術水準には無いらしい。
このように文化の中には、稀少生物の絶滅ほどではないにしろ、一度無くなったら回復が難しいものもある。景徳鎮は日本があって、また需要があって助かった。
文化と国家と人々の嗜好について、混乱しながら色々考えておりました。
2000年11月26日
◆3日目
ついに最終日。
・本日のコース
将軍塚~二年坂~東福寺~光明院
将軍塚と光明院はいわゆる穴場的所。
夜景で有名な将軍塚は、紅葉もたくさんあって綺麗でした。
ついでに京都市街も一望。なかなか綺麗です。
二年坂は奥丹を見に行く。ここまで来て清水寺に行かなかったのは初めて。
広告と同じらしいアングルで写真を撮って、帰りました。何してんだか・・・。
東福寺は紅葉で最も有名なところ。昼間なのにベルトコンベア状態。こんなに人が乗って木の橋は大丈夫なのかと冷や冷やしながら渡ってました。
光明院は、東福寺のすぐ南にある、庭の綺麗な建物。今年の秋のJRの広告に使われてしまい、昔ほど穴場では無くなったようですが、それでも東福寺の百分の一も人はいなくて、ぼーっと座って庭を見てました。
夕ご飯は木屋町の豆水楼。ここの湯豆腐は甘くて、奥丹とはまた別の意味で美味しかった。お代わりしまくって、腹一杯食べてました。
ポイントと言えば・・・
・東大路沿いの主要スポットは混む前に行く。夜間拝観は覚悟して行く
・電車、地下鉄が一番便利。徒歩も嫌がらない
といったところでしょうか。あと、4人位で来れば、タクシーもかなり便利です。
以上で今年の紅葉狩りはおしまい。
今年は紅葉が遅くて、まだまだオンシーズンです。
損はしないと思うので、是非どうぞ。
2000年11月25日
◆二日目
今日から弟も参加。
・本日のコース
一条戻り橋(笑)~晴明神社~金閣寺~仁和寺~高山寺~指月橋~西明寺~神護寺~高台寺
さすがに朝から晩まで続くと、つらい。いちいち一つずつ説明する気にもならない。
高山寺というのはあの鳥獣戯画で有名なところ。
神護寺は瓦投げで有名です。
高台寺の夜間拝観は超有名らしく、入ってから出るまでずっと行列、ベルトコンベヤー状態。
へとへとになりました。
2000年11月24日
◆京都観光
ついに母上がやってきました。
今年も京都徘徊の季節です。
バスの到着時刻を間違えて、15分ほど待たせる。その間、場所が分からないのに勝手に移動し、えらく往生する(私が悪いんですけど、かなり困った)。
・本日のコース
京都駅~南禅寺~随心院~青蓮院門跡。
今日は午後だけだったので。たったの3つ。
昼ご飯南禅寺近くの「奥丹」で湯豆腐。これが京都の湯豆腐かー。初めて食べました。美味しかったけど・・・お腹が一杯にならない。
どうも、母親は何かの車の宣伝で奥丹の前で撮ったやつを見たらしく、それを持ってきていました。見ると、石畳で急な坂。これは二年坂の方の奥丹です。
「しまった、こっちの方じゃ無かったのか~」とひどくがっかりしてました。もうちょっと考えて欲しい。
青蓮院は夜間拝観。紅葉がちっとも赤くなってなかったので、見頃はまだ先だったんですが、庭がすごく綺麗でした。ぜひ、12月初旬に京都に行かれる方は行くのがよろしいかと。
2000年11月22日
◆虚弱
最近、前にも増して虚弱体質と化してます。
これも下宿に閉じこもり、もやしみたいな生活を2ヶ月送っているせい、だと思うけど・・・。
昨日は久々に外出。
バイクにガソリンを入れ、ビブレの楽器屋でピックと楽譜とカポを買い、NTTで金を払って、学校行って本を買って帰った。まぁ、外出といっても、それだけ。
結果、恐ろしく疲れ果てて、ダウン(笑)。
3時間歩くことに耐えられる身体ではないらしい。
今日会ったいづちくんには「えらい白いっすね」とか言われていたし。
家に帰ってギターをちょっとかまうと、小指に血豆、手首の筋もかなり痛い。
50m先のコンビニを往復するだけで足がつりかける。
頭は相変わらずな上、おまけに喉まで痛い。
部屋に放射性物質でもあるのか?
2000年11月21日
◆京都中継
先日、朝の7時頃、ベランダで煙草を吹かしていると、バタバタとヘリが東に向かって飛んでいくのが見えました。のそのそとテレビをつけてみると・・・やってました、TV中継です。よみうりテレビが朝っぱらから永観堂を空から撮してました。
永観堂は秋の京都観光の中で、お勧めのスポットの一つです。昼に行っても、夜に行っても見応えがありますね。しっかり金を取られてしまいますが、紅葉がきれいです。
毎年母親が京都に来るので、大学生のうちから、京都は至る所に行かされました。当時は、まだ母親も若かったうえ、犬と毎日散歩していたせいもあって、毎回恐ろしいほどの距離を歩きました。しかも、やたら歩くのが速い。本に「8時間コース」などと書かれているのを、4時間で回ったり、普通はやらない伏見稲荷の「お山めぐり」をさせられた(赤い鳥居は今でもトラウマ)のには参りました。最近は年を取ったせいか、だいぶんペース的にも距離的にも落ちてきたのがありがたいですけど。
個人的には、金がかからず素晴らしい紅葉の見られた真如堂とか、地元密着型の石像寺も京都らしくて好きです。まぁ、外出先にまで「癒し」を求める私がおかしいのかもしれないけど、とにかく、人混みでごちゃごちゃしているのはダメです。
去年はくそ寒いなか鞍馬から貴船まで歩かされ(やはり貴船は夏のもんだ・・・)、清水と永観堂の夜間拝観、北野天満宮~妙心寺~広隆寺~嵐山(妙心寺まで京福乗った以外は全部歩きなのが、母親らしい・・・)と行った我々。なんか去年で行き尽くした感がありますが、今年はどこに連れて行かれるのやら・・・。あとは比叡山と桂、山科ぐらいか?なんか「辺境」ばっかりだなぁ。
2000年11月18日
◆政略
政局が怪しくなってきました。
しかし、久しぶりでないでしょうか。小沢一郎が宮沢政権を倒して以来の造反です。
素人考えで分析すると、以下のようになります。
まず、不信任案が可決するかどうかは、分かりません。・・・全然分析になってませんが(笑)、分からないです。ただ、主流派と言われる人たちが焦り始めているのは明白です。「欠席者の除名」とするのは、ある意味、退路の橋を燃やす行為で、追い込まれている証拠です。
次、除名発言の効果ですが、チキンレースなので、これも分かりません。ただ、除名と選挙は、造反者がよほど少数の場合を除いて、ある程度一セットで考えた方が良いし、損得勘定からすると、しない方が良いけど、感情的にはやりかねない。こういう状況ですので、そもそも発言の効果自体も不安定となります。
可決された場合の解散総選挙ですが、言われているより可能性は低いと思ってます。自民党にとっては、明らかに不利な選挙だからです。前回と違い、弔い合戦の要素もなければ、内閣にも支持が無く、景気は相変わらずです。そして、何より「打倒自民党」が現実味を帯び、市民の関心も高くなってます。タイミング的には最悪でしょう。除名と同様、非主流派への脅し要素として出てきたため、言ったからにはやらなければならない、という悲しい選択もありえますが、共産党が加藤を首班指名する可能性や、加藤派の自主的離党の可能性を考えると、森首相の「英断」による内閣総辞職→除名は無し→党内決着、というシナリオが描けます。ま、これも感情的要素が大きいので、一概に言えませんけどね。
こうなると、加藤のプレゼンスは大きくなるかもしれないけど、野党は大損しますね。せっかく叩きに叩けた森首相を選挙前に降ろしてしまうことになるし、次期首相が加藤や小泉になったりしたら、おそらく自民党の人気が上がってしまうでしょう。かといって不信任案を出さない訳にもいかないし・・・。ただ、自民党が「前議席確保は無理でも、加藤派、山崎派に対立候補を立てて、過半数取れれば」という戦略に出れば、漁夫の利は野党にあります。この可能性、すなわち、除名→解散→過半数確保と言うシナリオ(でも、多分これを取ったら、割れるだろうなぁ)も少しはあるでしょうな。
政治家には、3つの能力が必要と言われます。政策、政略、人望です。
今回は政略。加藤さんのお手並みを見させて貰いましょう。
2000年11月17日
◆回復
2日間悩まされた頭痛も治り、元気になりました。
携帯の機種を変えようとauのホームページを見てました。
今はSONYのだから、次もSONYのにしようかと考えていると・・・出てますC404S。愛称はDIVA。歌姫、という意味らしいです。
んで、値段を聞いてみてびっくり。ん万もするそうだ。「マジックゲートメモリースティック」対応で、ウォークマンと携帯を足したようなものらしい。
展覧会で出品するには面白いものかもしれんが、MSを流行らすために、これはないだろー。
出井さんも言っていたとおり、携帯は「ソフトがハードを支配する」世界。ハードはタダ同然が当たり前。大体サイクルは1年~2年かな。
一方、ヘッドホンステレオはまぁ、3年は使うつもりで買うもの。確かに両方一緒なら持ち歩くものが減って良いかもしれないし、値段的にアドバンテージがあれば良いかもしれないけどなぁ。サイクル的にも、値段的にも、ちょっと頂けない。
あと、最大の問題は電池だと思う。ただでさえ電池の持ちが悪いCdmaOne。音楽かければ、一体何時間もつのやら・・・。VAIOみたく「LLLバッテリ」とか出るのかな(笑)。
まぁ、詳しい仕様が分からないので何とも言えないし、見ていると「欲しいなぁ」と思わせる所は確かにあるのがSONYらしいところですが、ちょっと先走りしすぎのような気がしました。
2000年11月16日
◆民主主義
報道には色々なタブーがあって、その中の一つに「民主主義への疑念」があったと思います。
民主主義が最高の政治形態であり、守らなければならないもの、というのは、今世紀の流れであり、また逆らうべくもないものでした。
しかし、この「民主主義」の定義がどんなものかとなると、学問的にはどうであれ、非常に曖昧なものとなります。
第一次大戦下では、専制君主制に対するものでした。
第二次大戦下では、全体主義に対するものでした。
冷戦下では、共産主義に対するものでした。
しかし、専制主義は別としても、全体主義も共産主義も、民主主義というものの中に含める部分は大いにあります。どれだけ「民主」に権限を与えるか、正統性を与える比重はどのくらいあるか、といった違いです。
こうした戦争を経て、ある意味での「民主主義」が「勝利」し、正統性を持つようになりました。しかし、こうしたイデオロギー的な争いの悪い遺産として、「民主主義の国→良い国」という考えが広く流布するようになりました。「民主主義国同士は戦争しない」といったものもそうした考えの一つだと思います。
民主主義が問題を解決しない事が、ユーゴの戦乱、イスラエルの統治姿勢などを見れば明らかです。
また、アメリカの総選挙は、泥仕合の正統性の低さと、正統性の低い民主政治の問題点を示しました。
民主主義が全ての問題を解決するのではなく、その制度をどのように生かすかは、その国の知恵と努力にかかっている事を示していることを、もっと認識すべきでしょう。
振り返って日本はどうでしょうか。
共産党が住民投票法を提出するようです。この事自体は結構な事だと思います。
しかし、住民投票は、民衆の考えを直接政治に反映させるやり方です。
一方、彼らの掲げる護憲とは、言ってしまえば、民衆の考えに制限をしようという部分があります。
確かに地方政治への住民投票は憲法上許されているという見方が大半ですが、問題はそんなのではなくて、民主主義とは何なのか、よう考えているのかな、と思った次第です。
2000年11月15日
◆頭痛
また、ぶり返してきました。
たまにあるんですよね、目の奥と、耳の上の方が痛くなることが。
こうなると、なかなか何も出来なくなります。
滅多にないことですが、年に何日かあるので。でも、今年は多いなぁ、ストレスかなぁ。
と言うわけで、本日は一日中寝てました。14時間ぶっ通しで寝てました。社会人が聞いたら、怒るよな。
そいで、むくりと起きあがって何してたかというと、シチュー作ってました。
良く無いなぁ。もうちょっと頑張らないと・・・
2000年11月14日
◆地震見舞い
・・・に実家に帰ってました。
「でかい規模の地震」→「大した被害では無かった」
という情報しか、全国ニュースでは分からなかったのですが、やはり、それなりに被害はありました。
まず、我が家。内側の至る所に隙間が出来ているのはまぁ良いとして、基礎にひび割れがあるのと、風呂場の床に隙間がある(つまり、身体を流すと水漏れができる)のが、ちょっと痛いです。
鶏舎に被害が無いのが皮肉ですね。台風には弱いのですが、構造が軽い分、地震には強い事がわかりました。
町の状況ですが、至る所で青いビニールシートを張った家を見かけました。神戸のような町並みを米子で見かけるようになるとは思わなかったです。
駅も、タイル張りの床が波打ってました。隙間無く敷き詰めていたので、ひび割れが至るところで起き、早くも工事が始まってました。
ひどいのは埋め立てて作った所。液状化現象が起き、安倍彦名団地などでは傾いてしまった家もあるようです。
被害的にも、状況的にも大変なのは震源地あたりの山間部です。過疎化が進んでいる状況下での震災だったので、復興も厳しく、300万貰ったところで家を建て直すところがどのくらいになるのか分からない様子でした。
4日間居たのですが、毎日余震がありました。ゴーという音と共に、短時間の揺れ。ひび割れた家の中での余震というものは、少々心臓に良くありません。
一時期母親も参っていたと言うから、体調を崩す人もたくさんいてるでしょう。
ま、なんだかんだ言って、米子の町は正常に戻ってました。鯛焼き屋さんもやってましたし、卵も産んでました。大変な方も多いでしょうが、頑張って欲しいものです。
2000年11月07日
◆経済
戦前と言えども、どうも無視はできないようで、困ってます。
経済に関する国際問題といえば、金融と貿易に分けることが出来ると思います。
このうち、貿易は、一般に良く知られています。対日禁輸措置が太平洋戦争の原因になったこと、域内貿易を追求する「ブロック経済」が日本の輸出を減らし、経済不振を起こした事などです。
でも、もう一つの金融も結構大事なんですね。私のやっている分野では日中の貨幣戦争が大事な部分を占めます。通貨を握るということは、その地域の経済を握ることなので、絶対に必要なことだからです。
1939年といえば、日中戦争が始まって2年、太平洋戦争が始まるまで2年という時期。
まだ列強は静観しているけど、日本の侵出で自分たちの権益が脅かされては困るので、陰に陽に中国側を援助していた。
その中の一つが、通貨に対するクレジット供与でした。
当時、蒋介石の国民党政府は「法幣」という通貨を発行していました。これが日本の占領地でも流通する。
日本側はといえば、占領地に「臨時政府」を作り、独自の通貨を発行しようとするけれど、信用が無いため、流通しない。
日本は戦争が泥沼状態になっちゃった上、満州国境ではソ連軍にこてんぱんにやっつけられちゃって、手詰まり状態。
それで、第二次世界大戦を控えて極東に構っていられなくなりつつあったイギリスに、いちゃもんをつけて、援蒋政策(中国を助ける政策)を是正させて、法幣を流通させなくしようとしたわけです。
戦前を見る視点から、経済が語られないのは、日本を「気の狂った悪者」にするのに都合が悪いのかな、と穿った見方もしてしまいます。
軍部の台頭の一要因として、30年代の不況があり、高い出生率と資源の無さ、貿易の不振が、大陸侵出を正当化しました。
まぁ、到底正当化出来ませんが、少なくとも合理的ではありました。
しかも、皮肉なことにこうした問題を解決する方向へ、戦後は進みました。自由貿易体制の確立です。戦争に意味を見いだす人は「戦争があったからこそ、今の繁栄がある」と言うゆえんです。
まぁ、こればっかりは歴史のIfの話なんでしょうけどね・・・。
とにかく、貨幣の話、大事なのに良く分からなくて困っている、ということで。
「為替集中制」ってなに?誰か教えて・・・
2000年11月06日
◆考古学
期待されるものの悲哀でしょうか。
「最古の石器」は実に人間臭い物語の小道具となってしまいました。
周囲の期待とか背負ったことは一度としてないので(笑)良く分からないけど、この手の「魔が差す」ことは良くあるようです。
ぼんやりと覚えているのは、人類の起源に関する話。当時は欧州起源説みたいなのが主流で、自分たちの祖先がアフリカの奥地にあるなんぞもってのほか、という雰囲気がありました。
そして、この説の第一人者が、いろんな骨を集めて、新しい発見と称し、自らの説を裏付けようとしました。
私のやっていることのように、証拠の偽造が比較的バレやすい分野では、まだ良いんです。南京大虐殺が何人死んだか分からないけど、少なくともあったことは否定できないし、30万人という証拠がどうも胡散臭いことも分かります。言ってしまえば、この程度のズレです。どんなに中国が頑張っても、一定の方向に収斂されていく性質がある。
でも、旧石器時代の石ころなんて、人間が人為的に削ったかが分かるだけで、結局年代設定は地層でのみ判断するしかない。
こういう分野は、学問への敬意、真実への敬意がないとやっていけません。人類の起源における偽造の原動力は、アフリカに対する偏見と、自らの権力、名誉への執着でした。
今回はそのどちらでもなく、ただ「期待が重かった」だけなのか、権力欲がそうさせたのか。
しかし、どこに行っても競争だらけ。人間って、悲しい装置だと、つくづく感じました。
2000年11月03日
◆新聞
戦前の新聞を読み返してます。
研究対象が1939年夏なので、正確には「戦中」ですか。
横文字を右から読むのにはすぐ慣れるものですが、外に出たときも自然と右から読んでしまうのが困ったものですね。
この時期は日中戦争同時並行的に、ノモンハン事件、英ソ同盟交渉などを抱え、おまけに9月からは第二次世界大戦が勃発するという、非常に世情不安な時期なんですが、まだ太平洋戦争中のような困窮さは漂ってません。戦闘の様子を伝える記事が多い部分は「戦中」を感じさせるものの、「名誉の戦死」として、将校だけでなく兵卒の名前まで出てますし、全体の雰囲気もどこか「よそ事」という感じが否めません。また、旅館、映画、演劇などの広告も多いのにも驚きました。
気になった広告(飲み物編)
「蜂ブドー酒」
・・・「夏山征服に必携」の飲み物で、これを飲み干す時「真の健康は生れ、肉体は嫌が上にも強化されて行く」んだそうだ。中身は多分ワインに蜂蜜を入れたものではないかと思うけど・・・ちょっと美味しそう。
「ダイヤモンドコーヒーシロップ」
・・・ただのコーヒーシロップみたいだけど・・・「夏の衛生飲料、一本で七本分となる涼味と経済」とのこと。・・・薄めて飲んでたのか?
「人工母の乳」
・・・そのものずばり、スキムミルクです。「生めよ殖やせは尤もなれど、産まれた子供を死なせちゃならぬ」とのキャッチフレーズ有り(笑)。
番外として・・・「専売特許ツヨナール」
「新発売織物保強剤」だそう。何のこっちゃよくわからんけど、どうやら服を破れにくくするためのものらしい。本社は・・・やっぱり大阪だよ~
気が向いたら続編します・・・。
