2001年01月24日
◆正義とは悪魔が被る仮面にて
これから書くことは、マスコミを一応志す者としては、きわめて不適切な内容かもしれない。しかし、書くべきか悩んだ末、結論も出そうもないから、問題発言だろうなぁ、と了解しつつ、思ったことをそのまま書いてみたい。
汚職は良くない、というのは良く理解できる。社会的不公正が健全な競争を妨げ、その結果、効率的な社会運営が出来る場合と比べて、幾分かの損失がでる事は間違いない。当然、取り上げられるべき問題であろう。
しかし、昨今の報道を見ると、何か、こうニュアンスの違ったものが見えてくる。
KSD疑惑では、政界への資金流入が問題になった。政治家に働きかけ、自社の利益になるような政策を行って貰うよう、働きかけた。ここで現金の授受があり、馬鹿な会長がそれを吹聴するから、収賄罪で捕まらせてしまったのは相当な間抜けであったにしても、これが、票の取りまとめとかなら、少なくても制度上、何ら問題はなかったはずである。しかるに初期の報道は、まるで働きかけ自体、問題としたようなものであった。報道する事自体には不満は無い。古賀の件でも妥当だと思う。でも、初期報道の方向性の非現実性、つまり、金銭授受という手段だけでなく「圧力団体の存在」といった民主主義の当然含有する必要悪を叩くという、現実離れした潔癖感を示したのに、妙に冷めた気分にさせられた。古賀の件は、マスコミにとっても救いだったと思う。
外務省の機密費の取り扱いについての報道は、もっと根深い。ここまで大きく扱う原因は、所詮スキャンダル性であって、所詮、嫉妬と軽蔑という感情論に過ぎない。さすがにそれでは週刊誌と変わらないのが気にくわないのか、表面上はシステム的な問題を取り上げているが、そこからの結論が「報償費自体をなくせ」とか「せめて会計検査院にまわせ」では、現実離れも甚だしい。どこの世界に、スパイ活動の詳細な会計を作ったりする国があろうか。結論は「週刊誌にすっぱ抜かれないと金の流れた先が情報提供者か競馬馬か分からない役所が、何が理性の官庁じゃ、ぼけ!」しか無いし、求めることは理性の復活しか無いのである。
両方の件で見えたこと、また「三国人発言」等の石原バッシングで特に激烈に感じたことは、マスコミには劣等感や嫉妬心といった情念が原動力としてあって、それを正義感という仮面で覆っているということ。むろん、すべての人間がこういう部分を持つし、よほどの「あほう」でもなければ、自分でも気付いている。でも、どうせかぶる仮面なら、こういう恐ろしくも洒落にならないほど安っぽい、顔の形をしているのかどうか判別できないものではなく、実社会にとりあえず有用な作用を及ぼすような仮面でなくてはならないであろう。
むろん、社会平均より、マスコミが正義感(というより、社会に対する義務感と言う方が、私にはピンとくる)を持たなければならないという部分も理解できるし、法に反するだけが悪徳か、という事も考えている。だから、悩みも多いけど、とにかく現在の報道姿勢がやたら鼻につき、もしかしたら「あほう」ではないか、とすら疑ってしまったので、固まった思考ではないのは心得つつ、とりあえず書きました。反論お待ちしてます。
なお、何人かは知ってのとおり(笑)、タイトルと「仮面」という表現は「仮面の国(柳美里)」を借用しました。これも盗作かな?
