2001年02月28日
◆お怠け
どーも。更新せずにすいません。
今回は体調云々ではなく、エントリーシートに追われていたためです。
普通に忙しい時でも日記は更新できるけど、エントリーシートを書くと「もう書きたくない」って気分になってしまうから不思議ですね。
忙しさもあり、だんだん日記が軽くなると思うけど、懲りずに来てやってください。
2001年02月23日
◆外務省+ゴルフ=?
今日の朝日新聞のホームページのニュース速報見てびっくり。
見出しは「『肝心な時にゴルフ』今度は大使 フィリピン政変当日」。第一文は「フィリピンでエストラダ政権が崩壊した1月20日、荒義尚駐フィリピン大使がマニラ首都圏のゴルフ場でプレーしていたことがわかった。」とのこと。
まてこら~。何が「分かった」じゃ~。
フィリピン大使のゴルフ問題は、2/10の予算委員会でも質疑があり、確か外相も認めているはず。いくらその翌日に船が沈没し、森さんがゴルフして帰らなかったからと言っても、「分かった」はないでしょ。
確かに格好の素材ではあります。バッシングするのの。外務省とゴルフですからね。でも、蒸し返すためにこの時期大きく取り上げるのは、節操無いような気がします。
しかもゴルフ相手って、アロヨ政権で閣僚に昇格しているはず。少なくとも無駄では無かったわけ。
どうなんだろうな~、こういう自己目的的なバッシングって、良いのかなぁ?
2001年02月22日
◆力
どうも説明会とかに出ると、勉強が手に付かない。
オンオフの切り替えが下手くそなのが良くないです。
今日は友人に電話かけまくり。まぁ、「他己紹介」って名目もあるけど、つらいからとかいう部分も否定できません。甘えがあるんでしょうね。
友人の指摘、欠点の自己表現が足りないとかは納得するけど、長所の「気が優しいし、信頼が得られやすい」っていうのとか、自覚が全くないなぁ。長所で自覚が無いっつうのは、使えないし、悲しいです(笑)。
しかし、友人に「あなたの人事担当、○○さんだったでしょ?」と言われた時は、しこたま驚きました。
職場の上司の女性の旦那さんが、私の職種の人事担当の方で、一緒に飯食ったとのこと。うー、世の中狭いものです。これでは~、口止めが~、全く役に立ってない~(笑)。「まぁ将来性を考えると、生かせるものがあるなら、しょうがないよね~」と言われた、とのことでした。
ま、自分で選んだ道。同情の余地はありません。
同情って嫌いだから、別に良いんですけど。斗ってやる!(笑)
NHKのエントリーシートの作文、半分かけました。
お題は「力」。最初はどうしてもうどんが頭から離れなかったのですが、なんとか離陸しました。
でも、凝りに凝ってしまって、自分でも訳分からなくなってます(笑)。
なんか「らくごのゴ」を思い出しました。お題に合わせて話作ったら、締める事が出来なくて、悩んでいるって感じ。落ちは要らないけど、やはり結論はいる。う~ん、困った・・・。
明日ぐらい、去年の「時代」を載せてみます。恥かしいけどね。「力」は締め切り過ぎないと、怖くて載せられない(自信満々ってわけじゃないけど、やはり盗作リスクは怖いから・・・)。
でも、「時代」の頃に比べたら作文うまくなっているな。成長、成長(笑)。
2001年02月21日
◆関西
自分の中にバランスを持つのはなかなか難しい。
天秤を支える軸というものがちゃんとして無いからだろう。
育った環境にしても、学んだ環境からしても、軸を持ってしかるべきだし、それを望んで環境を選択し、積極的に自分の「軸」を求めているつもりではいる。だが、どうしても軸がぶれる。
一つは、周りの状況にバランスが取れていない場合、「軸」を示すのではなく、対置するものを示したくなるからだと思う。台湾問題で国益を示し「平和的併合も阻止するくらいの気概を持って」などと言うのは、そのさいたるものである。少なくとも他人が読めば、国粋主義者だ(笑)。マスコミの「反権力」に疑問を呈する時も軸を見せているわけではない。
もう一つは、--前の点の理由ともなる訳だが--、軸がまだ「借り物」であり、自分の中で整理が出来ていないからだ。大体の目星はついているものの、自分の意見として確固としたものができあがっている訳ではない。
関西の知識人というのは、素晴らしい軸を持ち、それをそのまま提示する型の知識人が多い。
過激な感情論に走る訳でもなければ、現実におもねる訳でもない。自分の軸から世の中を説明し、時には予言したりする。
司馬遼太郎しかり、山崎正和しかり、高坂正堯しかり、我らが(?)五百旗頭先生や中西先生もそうである。
しかも、人間を包み込むように捉え、世の中の見方に希望を忘れない。
こうした見方を吸収するために関西にいると言っても過言ではない。
しかし、これだけ意識していても、なかなか吸収できない。よっぽど出来が悪いらしい(笑)。
「ネイティブじゃないしな~」と考え、心の支えにはしているが、周りの関西人にもとんでもない暴走野郎もいるわけだから、まぁ、あんまり言い訳にはなりそうもない。
山崎正和の「歴史の真実と政治の正義」、良かったです。社会思想ってジャンルになるから、直接どうこうって訳ではないけど、軸を補強するには本当に良い本です。社会人になられるような方も読んで損はないかと。特に外交を志す方は、近代国家論なので、是非読んでください。あと、「大分裂の時代」も良いです。
朝日新聞を受けられる方、面接で解説したら、納得いかなさそうだったので、あまりアピールしない方が良いかもしれません(笑)。国家の役割を強調するのはやはりダメみたいっす。
2001年02月20日
◆原点
原点に帰る。
ダイエーの原点が千林にあるように(笑)、私にも原点と呼べる所がいくつかあります。
今日はその一つに行って来ました。新大阪です。
高校時代に予備校の夏講習等に通うため、ここを拠点としていました。
関西初上陸の地でもあり、事実上、一人暮らしをした初めての場所でした。非常に思い入れのある場所です。
不安と、自由から来る孤独。
将来に不安を抱えつつ、好きなときに好きな所に行き、それでも満たされないものを強く感じる日々。
こうした不安定な感情は、強く記憶に残るものです。
駅から外に出た瞬間、昔の気だるい感覚が鮮明に蘇ってきました。
あれから8年たったというのに、ほとんど変わっていない街並み。
そして自分。
8年前の自分が今の姿を見たら、あまりの自己の変化の無さにさぞや愕然とするでしょう。
もっと「何者かにならなければならない」って悩んでましたから。
東海道線をまたぐ長い陸橋を歩きつつ、気の遠くなるような感覚を昔のように感じ、「あぁ、やっぱり変わってない」と再認識させられる始末でした。
よく通っていたお好み焼き屋「香」もまだやってました。
「お好み焼き定食」があり、お好み焼きとご飯を食べるのにいたくカルチャーショックを受けた店です(笑)。
今日食べたのも「お好み焼き定食」。
話したところ、ここでは20年以上やっているとのこと。
同年代だった子供さんも、既に大学を出て、就職していました。
店の隣が居間になっており、まるで他人の家庭の中で飯食っている感じがして、当時も落ち着いていたのを思い出しました。炊飯器なんて、家の方にあるし(笑)。
少し歳をめされた、おじさん、おばさん、おばーちゃん相手に懐かしがりながら話しつつ、飯食ってました。
・・・そう、少しではあるけど、変わっています。
「懐かしい」と思っている自分に気付き、そう思いました。
他人ほどでは無いにしろ、幾つかの異なった環境を渡り歩き、なにがしかの経験を積みました。
たくさん得たこともあり、滑り落ちるように失ったこともありました。
心の傷もありますが、それを含め、良い方向に変化しているはずです。
それで、良いんじゃ無いかな、と。
とにかく、不安と孤独にどっぷり浸かることで、かえって気が楽になりました。不安定な感情を置いていった感じです。う~ん、おそるべし、「原点」。
今年も記憶に強く残る年になるでしょう。楽しく振り返られるかどうかは、別にして。
また来たいものです。
2001年02月18日
◆人望
政治家の資質というのはなんでしょう?
11月の日記では政策、政略、人望と挙げました。
政策は頭の良い人間を側につければ補完できる話ですし、政略はある程度の地位になれば、他人任せでも十分です。でも人望は最低限のものを備えていないと、すぐに政治家失格です。
が、日本の政治は人望が重視されません。特に対外的な人望が重視されてない。過度に人望に左右されないのは間接民主制の良いところでしょうが、あそこまでだと、リーダーとしての資質が問われます。
森さんの欠点は、周りをバカ扱いする点。吉田茂も同じような面があり、「民主政治には向かない政治家」と後世評価されることになるのですが、こうした欠点を今の時代に見事に再現しました。
吉田ほどの大人物にバカ扱いされてもむかつくのに、バカにバカ扱いされたら、バカ当人も怒りますわ。
かつて田中が言ったこと。「味方にする必要は無いが、中立地帯を広く保つことは必要だ。」。マスコミもこういう扱いをしないとダメでしょう。まぁ、バカだと言いたい気持ちも良く分かるんですけど(笑)・・・。
突発的事件が起こったときの対応、というのは政治家の資質が大きく問われる「試験紙」の役割もあります。阪神大震災の時、如何に早く庁舎に駆けつけたか、どれだけ早く対応できたかで、都市によって大きな隔たりがありました。助役のおかげで助かった都市もあれば、駆けつけるのが遅れても、その後の対応の適切さで高く評価された人もいます。
こういう前例に森さんは学ばなかったのでしょうか。いや、学ぶも何も本来備えるべき資質です。対応如何によっては、「外交はできる」という評価を得られた良い機会だったのに・・・。問題発言では同情的だった私ですが、これにはさすがに資質が無いな、と思わされました。マスコミの過度な反応を割り引いても、これでは人望を疑わざるを得ません。
今日はサンデープロジェクトで、公明党の冬柴幹事長が管さんに見事に乗せられ激昂し、草野教授にまで「失礼だ」とのたまう始末。弁護士があれだけ議論慣れしていない、というのは、一体どういう訳なんでしょう??かなり大人げなかったです。ハマヨツは論外にしても、公明党も人材がおらんのう・・・。
2001年02月17日
◆日常、あるいは平凡な日々
人々の暮らし、というものは見えてきそうで見えないものです。
こうしてくだらない文章を書いている間にも、Kくんは結婚準備で大忙し、Sくんはゴールドマンの試験を受け、Iくんはタイで旅人生活。Nはおそらく修論明けでまだぼーっとしています。東京では五百旗頭ゼミのOBが集まっている時間。インドで出会った人々もあの排気ガスの中で逞しく生き、イラクでは空爆におののき・・・。
誰一人として私が完全に理解している人はいません。全て私の知覚によって私の中に入って来てはいるものの、私の中で彼らを完全に再構成する事は不可能です。当たり前です。
でも、思考は広がる。知っている人、見たことのないことに思いをはせ、時間を超え、空間を越え、あらゆる事を理解しようとする。限界の中で、可能性は無限に広がっている、って感じです。
私は赤の他人の「幸せ」な所を見るのがすごく好きです。生活の中のちょっとした幸福の一端を示している部分です。そこに関われない一抹の寂しさを抱えつつ、それを見せて貰ったことをとても感謝している自分がいます。
旅行が好きなのも、それを強い感性で捉えることができるからです。最初のインド旅行で一番頭に残っているのは、猛烈な暑さの中で、笑いながら逃げるお父さんとそれを追う子供の姿でした。タイ旅行では、中華街で子供のおもりをしているおじいちゃん。次のインド旅行では、勝手口の玄関で犬とおじいちゃんが並んで置物のように座っている姿でした。こうしたものを見ただけでも、「あぁ、旅行に来て、良かったな」と思います。
京都に来て、今の場所が気に入っているのは、こうした生活臭溢れる「幸せ」に触れる機会が多いこと。コミュニティーは強く、家族も多く、それがちらりと「幸せ」を見せてくれる機会が多々あります。週末なんて、特に良い感じです。
あまり人を理解出来る人間じゃなく、それに気を使える人間でもないと良く言われますけど、人の幸せを受け取り、喜びとする部分だけは、自分で自分を認めたいな、と思ってます。
2001年02月12日
◆21のいのちの物語
久々の誉める番組批評(最近けなしてばっかりだったもんな)。
NHKのETV特集再放送「フジコ」。良かったです。
ピアニストが栄光を掴み、難聴によって挫折し、日本に戻ってきた、という話。最初は、マスコミ特有の「上から下々を見て自分の優位さを自己認識する」偽善的なもの、と思って、消しました。だから最初の30分は見ていません。でも、30分見ただけでも、内容のすばらしさは良く分かりました。ナレーションをつけず、字幕だけで事実関係中心の解説を行い、あとは彼女との言葉のやりとりを伝える方法を採っていたので、見事に「彼女が自分の人生を、音楽をどう考えたか」に純化していました。取材者のフィルターが薄く、彼女のありのままの姿ががしっかりと伝わってきていました。
見栄や自己美化もあるでしょう。本当の事を言っていない部分もあると思います。しかし、この点を過度に取り払い、取材者の考える彼女を描いても、現実感が無いし、視聴者へ訴えかけるものを大きく削いでしまいます。そうするのではなく、なるべく本心を語らせる環境のみ作ることに専念し、あと彼女の奏でるピアノで臨場感を増す(これも彼女の語る「言葉」ですし)。彼女の部屋や生活を追い、表情を追って味付けをする。変な同情は無く、ありのままを伝える。生半可な解説よりもずっと説得力があります。
やはり、生半可でない栄光を体験し、生半可でない挫折をして、それでも前向きに生きている人間の言葉は重いです。「私は私のラ・カンパネラ(曲の名前)が一番好き。他の人の音が好きじゃないから。機械じゃないんだから多少間違っても構いはしない。壊れそうなカンパネラがあっても良いでしょ?」という言葉、決して虚栄心が言わせた言葉では無かったです。挫折は自分探しの期間である、という事は十分に体験していますが、いつになったらこのような自負が持てるのか、自分に対し絶対的な価値を持つようになれるのか、気が遠くなるような思いで見ておりました。
いつかsoulが残るはず・・・。最近買った絵はがきの言葉。
・・・まぁ、頑張ります。
しかし、ETV特集は個人を描く上で良い作品が多いね。「いのちの物語」というタイトルに名前負けしてないもんなぁ。新聞じゃ、どうひっくり返してもできない手法ですわ。
2001年02月11日
◆「えひめ丸」
久々に大きなニュース、と思ったら、実習船が沈没。
原潜が浮上してきてぶつかったと言うから、信じられないような人災です。
残るは9人。まぁ南洋ですから、ライフジャケットさえ着ていれば、しばらくは保つはず。問題は、船から出ているかどうか・・・。沈没まで一瞬だったらしいし・・・。
とにかく、無事を祈るしか、ありません・・・
日本の危機管理室の運用状況にまた問題が集まりそうです。やはり皆さん政治家ですから、休日に東京にいない。
今回の問題は、首相が東京にいてもどうにもならない、と思ったのか、森さん、ゴルフを最後までやっちゃいました。途中で帰らないと、やはりまずいでしょう。なんで彼の周りにはそれすら諫言できる人間がいないのか、とても不思議です。
森さんと同じくらいしょうがないのが、宇和島水産高校の掲示板を荒らすやつ。TPOをわきまえなさすぎ・・・。
しかも、「アメリカ軍の悪ふざけ」を声高に主張する人間まで・・・。こんなところで自分のイデオロギーを展開してどうすんの・・・。
常識的に言って、日米関係の問題にまでは発展しない、と思いたいです。アメリカ側の対応の早さには目を見張るものがありますし、アメリカ側の危機意識の強さはひしひしと伝わってきます。
朝日等がどう書くか、ちょっと注目しておきたいです。
2001年02月10日
◆ゴー宣
右翼人間の必読誌(笑)、「SAPIO」を久々に立ち読みしました。
結構好きな4コママンガが面白くなくてガッカリしつつ、ゴー宣を読んでびっくり。私が考えていたようなことが書いてありました。
やはり近親憎悪なんかなぁ。あまりの近さにかなりショックを受けてまいました。
彼の考えに、「現実主義」を加えれば、あっという間に私の考えか?・・・認めがたい事実だ・・・
朝日は「台湾論」の中国語版発刊のニュースをインターネットで配信。批判的なのが文脈から想像できます。
今日は朝から予算委員会中継。テレビつけたとたん「あのー、松尾の買った馬の餌代はまだ機密費から出ていることになっているんでしょうか」という野党側の質問を聞いて、速攻で消す。
このバカがっ・・・「朝イチ」の女子アナがアメリカの初代大統領は、という質問に「ケネディー?」と答えて以来、目がテンになってましたわ。
最近お気に入りな人・・・、よみうりテレビの辛坊解説委員。ズームイン朝時代から好きだったんだけど、原稿も読めるし、ニュース解説も的確、しかも適度にウィットがある、という「歌って踊れる」アナウンサーになっていて、非常に好感持てます。あぁ、あの穏やかさが私も欲しい。
ただいま、沖縄四軍司令官の心境。合い言葉は「NO EXCUSE」。
話が飛び飛びになって、「天声人語」みたいになってしまったい・・・
2001年02月09日
◆続マスコミ
先日、説明会していた編集長の人、テレビに出てました。例の三田佳子のガキの手記を載せた件で、記者会見うけてましたの。
この記者会見が無かったら、その前の日のオフ会に来ていたらしいので、面白い話ではあります。
私、この手の話には全く興味がありません。ただ、やはり自己ちゅーだな、とは思いますな。
人にチヤホヤされる身分というのは、人格的によろしくない効果があるようです。プレッシャーに感じたり、高ピーになったりしている人、此処でも良く見かけますし・・・。
KBS京都の綺麗なおねーさんがいなくなって、早数ヶ月。そろそろ皺も出てきて、お払い箱になったのかな~、と寂しがっていましたところ・・・どうも朝日に引っこ抜かれていた事が判明。
しかも、京都にいるときと違って、顔つきも随分若返ってる・・・。う~ん、恐るべし、どうらんの威力・・・。5歳は若返ってました。化粧には騙されないようにします。
正確には、どうらんじゃなくて、最近はもっと粒子の細かい化粧品を使っているらしいです。ハイビジョンでも皺が映らないように・・・、ということで、女子アナも大変ですね。
・・・しかし、どうらん塗ってもしわしわの筑紫哲也って、実物見たらどんな顔しているんだろうな~。
2001年02月08日
◆二律背反
背反する要求のバランス。
簡単に見えて、これほど難しい事はありません。そして、世の中で議論になっている事は、大概この線で説明が付きます。
「カリフォルニア州の電力供給問題」。「安価な供給」と「安定的な供給」の狭間で揺れています。朝日新聞等は「自由化の波は止めてはならない」と言いますが、自由化の中で安定的供給を如何に実現するかには触れられていません。ユニクロの服やソニーのパソコンが供給不足になっても、それほど困りません。これらは自由にやってもらえばよろしい。しかし、電力は近代世界における最大のライフラインです。一方、関西電力のように扇動的に夏場の安定した電力供給→原発の開発、という、分かるような分からないような説明で、コストを考えているのか考えていないのか分からない「神殿」をポコポコ建てる、というのも、病んでるなぁ、という印象を受けます。
物価下落と景気の関係。主に「良い物価下落」と「悪い物価下落」という説明で見方が変わってきます。近時の物価下落はイノベーション(広義の技術革新)によるもので、政策云々で変わるものではない、という見方と、需要不足が原因であって、需要喚起政策を強めるべきだ、という見方。これも、実際の物価下落には両者の要素があり、なかなか議論は難しいです。イノベーションを促進する事が日本の生き残る道であり、また、競争に敗れた企業を保護するのも、経済効率から見て望ましいものではありません。一方、物価下落は実質的な債務負担を増加させるので、金融という経済の血流を悪くし、「壊死」を起こす危険性もあります。
こういう、微妙な二律背反では、システム的な情報が不可欠です。なぜ、加州では電力問題が起こっているのか、自由競争と両立するような規制は無いのか、そういう視点がないと、「とにかく自由競争を」では、単なるイデオロギーの表明でしかなく、問題を解決するものとはならないでしょう。我々は圧力団体ではなく、「安価」も「安定」もどちらも同じくらい必要な立場なのですから。
また、結果責任でしばらく様子を見る忍耐も必要です。特に経済問題では、数年という期間で政策運営を誰かに任せ、引っ張ってもらうしかありません。両方とも尤もであり、また、迷っているだけでもダメなのですから。
・・・「システム的思考」と「忍耐」。ま、どっちも日本に欠けている事は間違い無いです。
◆マスコミ説明会
昨日、マスコミの説明会に行ってきました。
場所は同志社大学新町校舎。家から歩いて10分くらいの所にあるんですけど、初めて入った・・・。
就職活動云々に関しては、私大と国立ではさすがに違います。受動的なのも如何かと思いますけど、手間暇を考えると、恵まれているな~、と思いますね。
講師は、「マスコミ就職読本」の編集長で、普通のマスコミセミナー等でも話している人。先日オフ会のあったメーリングリストの親玉でもあります。ほとんど得る情報は無かったけど、少しは役に立ちました。
なんか、受講生の目が死んでいるような気がしたのは、雨だったからか、私の体調が悪かったからか。はたまた、情熱の塊みたいな京大生にインスパイアされすぎているからか・・・。
しかし、体調悪い。体がだるくて、自分の体じゃ無いような気がしますわ・・・
2001年02月04日
◆自衛とは
今日は、ちょっと、ナショナリスちっくに行きます。
当たり前なんだけど、当たり前になっていない話。
なぜ、中国が台湾を統一してはならないのか。
こういう問題を設定されたら、日本人としてどう答えますか。
台湾は中国の一部です。台湾は国家として(あまり)認められていません。国連にも認められていません。仮に戦争になったとしても、国際法上は一応内戦です。チェチェン以上に責められる筋合いはありません。チェチェンと違い、民族自決もへったくれもない所ですから、もっと統一する権利が中国にはあるでしょう。
どう思いますか。
答えは「日本として大変都合が悪い」から。それだけです。
台湾は日本と目と鼻の先にあります。本土にいるから、遠く感じますが、沖縄から見れば陸続きと言っても良いくらいのところにあります。そういうところにせっかく親日本の勢力が存在するのに、武力統一であれ何であれ、中国の影響が増大する。中国嫌いの人のように「共産主義ファシズム」とか、「独裁国家」とか言うつもりは毛頭無いですが、中国が大国であり、ゲームのカードとして軍隊を動かせる国であることは間違い無いです。それが目と鼻の先まで迫ってくる。これが大変都合が悪い。アメリカよりもずっと都合が悪い。
こういう前提があっての「武力行使はダメ」、「民主主義は守らなければならない」なのです。
もちろん、こういうことを公言する必要は無いです。黙って、ごたく、じゃなかった、「国際正義」を並べておけば良いのです。しかし、近年の日本はどうでしょうか。日米で新ガイドラインが作られたとき、日本の周辺に「台湾は含めない」と公言いました。国民も、台湾問題について関心が薄い、というよりよそ事にしか感じていません(台湾危機の時も「アメリカさんも頑張るなー」ぐらいでしたしね)。北朝鮮ごときが漁船を一隻泳がせたぐらいで大騒ぎする国民が、台湾にこれだけ無関心でいられるのも、不思議なものです。
アメリカで政権が変わり、対中国、台湾政策が大きく変わりそうです。対日関係を重視するのと同時に、「もっと国益を認識しろ」という声が上がるでしょう。
軍を出動させる「自衛権」はもちろん厳しく制約されるべきものですが、外交手段で台湾を守る、という意味での「自衛」はもっと手広く行う必要があります。もちろん、平和的統一も望ましく無いですから、可能な範囲でこれを妨害するぐらいの気概があってもいいくらいです。これが外交の本質なんじゃないでしょうか。
う~ん、やはり過激に聞こえるわなぁ・・・。
2001年02月03日
◆論理と感情
人は信じたいものを信じる。
真実に近いところに罠を仕掛ければ、人は簡単に引っかかる。
人間という生き物は、論理的に見えて全然論理的ではありません。論理的思考が苦手なことは、数学が苦手なことでも良く分かります。
いわゆる「理にかなっている」運動も、その規模が大きくなるにつれ、やたらと感情的になります。例えば、鯨禁漁運動です。はじめは「絶滅の危機」という尤もな道理があったのが、いつしか「かわいそう」とか「高等な動物は殺されるべきではない」とか、訳の分からない感情的なものになってしまいます。連帯感とは面白いもので、人を安心して非論理的な行動をさせてしまいます。
感情は人間の本性であり、ある程度は仕方のないことです。感情が無いと、人間が人間で無くなってしまいます。(まぁ、この関係では、果たして人工知能が一端の感情を持てるのか、という面白い課題もありますが・・・)。感情を差し挟む余地の無い世界の例として、核抑止理論を見てみましょう。あちらさんが核ミサイルをぶっ放せば、許容できないほどの反撃能力を持つことを相互に保証することで、この理論は成り立ってます(難しい言葉で相互確証破壊と言います)。理性への過度の信頼が組み立てた、恐ろしい理論です。
しかし、集団化=感情化の流れは、できるだけくい止めるようにしないと簡単に「罠」に引っかかってしまいます。そしていったん動き出すと止められるものではありません。他の国の事は知りませんが、マスコミ報道や、戦前の研究、教育問題などを見て、日本人にはこの傾向がとても強いと思わざるをえません。個々人が宗教団体に騙されたりとか、良い大学入ったのに、指示待ち人間になっちゃって就職がおぼつかないとか、そんなんは勝手にやってもらえば良いんです(笑)。問題は集団化。
しかし、一方で、感情的な集団を排するあまり、集団化すらできない、という問題も日本人は抱えています。あまりに「イデオロギーの仮面を被った超感情的な運動」の前例があって、集団自体を嫌悪する。そして、マスコミに煽られ、感情のみの反発を持つ。なんか、問題は深刻になるばかりのような気がします。
感情を排しつつ、政治的人間として振る舞うのは、なかなか難しいっす。
