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2001年02月03日

◆論理と感情

 人は信じたいものを信じる。
 真実に近いところに罠を仕掛ければ、人は簡単に引っかかる。

 人間という生き物は、論理的に見えて全然論理的ではありません。論理的思考が苦手なことは、数学が苦手なことでも良く分かります。
 いわゆる「理にかなっている」運動も、その規模が大きくなるにつれ、やたらと感情的になります。例えば、鯨禁漁運動です。はじめは「絶滅の危機」という尤もな道理があったのが、いつしか「かわいそう」とか「高等な動物は殺されるべきではない」とか、訳の分からない感情的なものになってしまいます。連帯感とは面白いもので、人を安心して非論理的な行動をさせてしまいます。
 感情は人間の本性であり、ある程度は仕方のないことです。感情が無いと、人間が人間で無くなってしまいます。(まぁ、この関係では、果たして人工知能が一端の感情を持てるのか、という面白い課題もありますが・・・)。感情を差し挟む余地の無い世界の例として、核抑止理論を見てみましょう。あちらさんが核ミサイルをぶっ放せば、許容できないほどの反撃能力を持つことを相互に保証することで、この理論は成り立ってます(難しい言葉で相互確証破壊と言います)。理性への過度の信頼が組み立てた、恐ろしい理論です。
 しかし、集団化=感情化の流れは、できるだけくい止めるようにしないと簡単に「罠」に引っかかってしまいます。そしていったん動き出すと止められるものではありません。他の国の事は知りませんが、マスコミ報道や、戦前の研究、教育問題などを見て、日本人にはこの傾向がとても強いと思わざるをえません。個々人が宗教団体に騙されたりとか、良い大学入ったのに、指示待ち人間になっちゃって就職がおぼつかないとか、そんなんは勝手にやってもらえば良いんです(笑)。問題は集団化。
 しかし、一方で、感情的な集団を排するあまり、集団化すらできない、という問題も日本人は抱えています。あまりに「イデオロギーの仮面を被った超感情的な運動」の前例があって、集団自体を嫌悪する。そして、マスコミに煽られ、感情のみの反発を持つ。なんか、問題は深刻になるばかりのような気がします。
 感情を排しつつ、政治的人間として振る舞うのは、なかなか難しいっす。

Posted by mino at 2001年02月03日 23:51
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