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2001年02月17日

◆日常、あるいは平凡な日々

 人々の暮らし、というものは見えてきそうで見えないものです。
 こうしてくだらない文章を書いている間にも、Kくんは結婚準備で大忙し、Sくんはゴールドマンの試験を受け、Iくんはタイで旅人生活。Nはおそらく修論明けでまだぼーっとしています。東京では五百旗頭ゼミのOBが集まっている時間。インドで出会った人々もあの排気ガスの中で逞しく生き、イラクでは空爆におののき・・・。
 誰一人として私が完全に理解している人はいません。全て私の知覚によって私の中に入って来てはいるものの、私の中で彼らを完全に再構成する事は不可能です。当たり前です。

 でも、思考は広がる。知っている人、見たことのないことに思いをはせ、時間を超え、空間を越え、あらゆる事を理解しようとする。限界の中で、可能性は無限に広がっている、って感じです。


 私は赤の他人の「幸せ」な所を見るのがすごく好きです。生活の中のちょっとした幸福の一端を示している部分です。そこに関われない一抹の寂しさを抱えつつ、それを見せて貰ったことをとても感謝している自分がいます。
 旅行が好きなのも、それを強い感性で捉えることができるからです。最初のインド旅行で一番頭に残っているのは、猛烈な暑さの中で、笑いながら逃げるお父さんとそれを追う子供の姿でした。タイ旅行では、中華街で子供のおもりをしているおじいちゃん。次のインド旅行では、勝手口の玄関で犬とおじいちゃんが並んで置物のように座っている姿でした。こうしたものを見ただけでも、「あぁ、旅行に来て、良かったな」と思います。

 京都に来て、今の場所が気に入っているのは、こうした生活臭溢れる「幸せ」に触れる機会が多いこと。コミュニティーは強く、家族も多く、それがちらりと「幸せ」を見せてくれる機会が多々あります。週末なんて、特に良い感じです。

 あまり人を理解出来る人間じゃなく、それに気を使える人間でもないと良く言われますけど、人の幸せを受け取り、喜びとする部分だけは、自分で自分を認めたいな、と思ってます。

Posted by mino at 2001年02月17日 17:31
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