2001年05月31日
◆現実と理論
社会科学における理論とは何か、について。
間違ってる部分も多々あるとは思いますが、大上段に構えて、ぶった斬ってみましょう。
「人間の行動というのは、よう分からん」
これが原点です。
ミクロレベルで人間の行動形式が自然科学的に完全に法則化できれば、それを組み上げれば集団の行動も法則化でき・・・、という具合になるのですが、如何せんそう単純ではありません。
例えば、今はやりの遺伝子レベルの解読&意味づけが完了しても、人間の行動様式なんて、分かりません。
私とおとうとくん。
双子なんでプログラムは一緒ですが、行動は違う。
「食卓に納豆」ってインプットでも、全然output違う訳です(笑)。
でも、よく分からないままではどうしようも無いので、とりあえず、大体そうだろ、ってものを想像したり、outputから推測することで、理論というものを作り上げるのです。
ですから、「分かりやすくする」のと「抽象化(理論化)による現実からの乖離」のバランスの上に成り立っていると言えましょう。
これを前提に言いたいことを幾つか。
昨日、北海道で「殺人に関わっているけど無罪」という裁判が出ました。
時効と、犯罪要件がもたらした悲劇です。
社会学の「理論」は、基本的に抽象化して分かりやすくする「現実→理論」という世界です。
逆に使っては間違いの元です。
しかし、司法というのは、理論を現実に当てはめる「理論→現実」という作用順序をたどります。
特に刑法は罪刑法定主義ってやつを取ってますから、これを厳密にする。
情状酌量などで、理論の厳密さのガス抜きをしますが、理論と相反する事実、「エラー」が出てくるんですね。
これが今回の事件です。
「選択と集中」。最近はやりの言葉です。
ボストンコンサルティングが開発したPPMが「理論」と言われてます。
簡単に言えば、自分の会社の実力と市場の将来性を考えて、資源を配分しましょう、っていう事を「理論」化します。
でも、企業の実力って測りようもない部分がありますし、市場の将来性なんて、もっと分かりづらい。
内々定先で貰った本には「PPMはコミュニケーションのツール」と言い切ってました。
合意形成の手段、という訳です。
先ほど挙げた言い方では、「乖離」の比重を上げてでも「わかりやすさ」を重視している、という事です。
乖離している部分については、「理論」そのものからではなく、状況ごとに微調整するという事でしょう。
ただ、社会科学ですから、「理論→現実」の単純な当てはめは、どんな理論でも無理です。
あくまで、「わかりやすさ」を少々重くしていると考えるべきでしょう。
「合意形成の手段」ついでに言えば、怪しい理論がたくさん出てくるのも、社会科学の面白い所です。
国際政治の仮定の一つに「民主主義国同志は戦争しない」というのがあります。
アメリカのお偉い学者さんが、過去の戦争のデータを集め、うち立てました。
インド・パキスタンの例が、民主主義同志だったから、全面戦争していないとは思えませんよね。
社会科学では、信じたいこと(感情)と論理が分かれていないため、こういった事がいくらでも可能なんです。
しかも、こうした「理論」が簡単に悪、とは言い切れないのも、また面白い所です。
神戸大学の教授案内の冊子で、政治学の久米教授が「大学とは曖昧さに堪える知性を鍛えるところ」と言っておられました。
大変気に入っている言葉で、さすが社会科学の学者だなぁと思います。
理論か経験かは別にして、私も曖昧さを楽みつつ、集団としての人間を扱うようになれたら、と思ってます。
