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2001年07月26日

◆歴史②

国家と歴史、これは分離できないのか。
山崎正和氏は、国家と歴史を分離すべきと言います。
彼は「認識としての歴史」と「伝統としての歴史」を分けて考えます。
「認識~」は、私の言う「学問としての歴史」と大体同じ事を言ってました。そしてこれは個人に属すると。
そして、「伝統~」(これは紐帯としての歴史ということになりますが)はより小規模な集団に返還し、国家はこれら集団間の相克を防ぎ、個人に対し集団への参退の自由を保障することで、間接的に国家への信頼を得よ、と言います。
まぁ、純粋な意味での「法治国家」という事ですかね。情ではなく、制度への信頼による統治。
問題意識としては、①国家と同一でない小集団の存在と②歴史の政治的利用の潜在性、があるようです。
詳しくは彼の本『歴史の真実と政治の正義』を読んでください。同じ題で50ページほどの論文に書いてあります。

その上で、前述の疑問への一応の答えですが、結論としては、「完全なる分離は無理だし、すべきでもない」ということになります。
しかし、そもそも国家と歴史が分離不可能と考えると・・・
①国家の歴史観と実際国が行う政治を関連づけ、
 ①-a:国家が「加害者としての歴史」を認めた場合、日本国民はその罪を万世まで引き継ぐか、
 ①-b:「加害者~」を否定した場合には、徹底的に争う必要に迫られるわけで、また、
②国家の歴史観と政治を関連づけない場合には、対外用の「表日本史」と対内用の「裏日本史」が存在するということになります。
少々はしょりましたが、大体これが山崎氏の主張のようです。

私の主張は「国の持つ歴史はもっと曖昧なもの」、すなわち、ある程度の国民的共感を持たせつつ、中国、韓国等の主張には理解を示すというもの(今の検定制度+多元主義への一応の理解を想定しています)なので、ある意味、国と歴史を分離していますし、かつ、①-aと②の両方引きずっている訳です。彼の問題提起には全く答えていないでしょう。とほほ・・・。

これが正しいか分かりませんし、そもそも実現可能かも分かりません。ただ、現状ではそうとしか考えられないというのが、私の主張でもあります。この年ですでに柔軟な思考が停止し、近代に拘束されているだけかもしれないと思うと、大変ブルーではありますが(笑)。

以上。少々の問題提起と、現状で考えていることでした。あー、頭痛い・・・

Posted by mino at 2001年07月26日 04:33
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