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2001年08月26日

◆超越を許さない世の中

 だいぶ頭痛は治まったけど、まだ痛いですね。
 社会人として支障が無いかと、ちょうっと不安です。
 さて、今日の内容はとりわけ不毛です。

 今年の野球、視聴率が取れていないらしい。
 おまけに観客動員も近年で最低。広島、阪神の貢献が大らしいけど、巨人が満員が前提の飽和状態なので、野球人気自体が衰えていると考えても差し支えは無いでしょう。
 今日は巨人が負けて、チューヤンが電波少年降板らしい。
 試合がこんな事に使われて、しかも見事に大敗しちゃって、メイクミラクルの虚しさは倍増。

 原因として、順位決定方式の変動や、過度の巨人重視政策等々言われているけど、最大のものは、娯楽の多様化と、スポーツの現実的な楽しみ方でしょう。

 昔、人気があったスポーツといえば、野球とプロレスだと思うけど、両方とも人気の動員の仕方としては、単純な人間と言うよりは「ばけもの」、常軌を逸した存在として、組織としてではなく個人として勝つという行動で、自らの正当性を証明する、っちゅう行動があったと思うんですわ。
 プロレスは報道側と完全に協力してそれを作り上げましたし、プロ野球も、日本刀振り回した王さんなどの伝説に加え、血と汗と涙と魔球が飛びっぱなしの野球マンガさんたちがありました。
 超越と正当性と人気のスパイラル。何とも単純かつ牧歌的、水滸伝的な世の中が許されていたのです。

 こういった考えは、昔の映画などにも見受けられます。
 弱さを感じさせないハードボイルドなんてのもそうですし、西部劇もそうです。
 ただ、西部劇の変遷をみれば良く分かるのですが、次第に主人公にも、敵の代名詞であるインディアンにも、だんだん人間臭さが漂ってきます。
 むろん、道義的、人権的な部分も強く関わってくる事ではあるのですが、全てをひっくるめて、崇拝も全否定もしない、合理的な人間像が描かれて来る訳なんですね。
 日本の漫画史、アニメ史もそう。
 敵がやたら改心して味方になったり(ドラゴンボールとか)、敵が玉砕して地球を救ったりとか(タイムボカンのどれかのシリーズとか)するだけでなく、非常に曖昧さや合理性を残して味方や敵に分かれたりしている。今の戦隊モノとか見ると、子供に分かるのかってぐらい、背景と行動が人間臭くなってる。
 そればかりか、宮崎アニメは社会思想を、エヴァンゲリオンは個人の哲学的内面を、左ワキえぐり込むように打っちゃってます。ここまで背景や主題を入れて、現実感を出している訳ですわ。(ただ「ほたるの墓」ほど写実性一辺倒になるとうんざり、ってのが、また面白い所なんですが(笑))
 やはり原因は、感情移入出来るに足る、人間臭さが漂う写実的世界への選好なんでしょうね。これに道義性を加味したのが、映像の世界なんでしょう。
 
 振り返って、野球の話。
 こちらも超越は許されなくなりました。
 正確に言えば、超越から卓越へって所でしょうか。
 情報量の増大と、人間の感情移入への厳しい態度が、超越を許さなくなりました。
 清原なんて、化石的の雰囲気引きずっているけど、科学性、説明性漂う「肉体改造」とか、ベースから離れたスタンスで内角打てるようになったとか、バントさせられて組織人の悲哀見せちゃったり云々で、妙に現実に縛られちゃったりします。
 プロレスは超越とワンセットだったぶん、余計に無惨さが際だちました。カメラ目線で廊下で吠えるという、アメリカナイズ的演出が、大変大変大変痛いですわ。

 こうなると、他人間の一活動分野としてしか認知されなくなるなり、自然と他のスポーツとか、娯楽とかと一緒になるんでしょう。卓越した部分で楽しむちゅう感じですね。

 ・・・実に不毛な話で、例によって纏めに困りますが(笑)、偶像性は無くならないにしても、完全無欠で排他的な偶像は、もう作れないという事でしょう。
 そう考えれば、稲垣君も別に生き残っていけるんじゃないかなぁと、痛々しい会見を見つつ、こんな事書いてみました。

Posted by mino at 2001年08月26日 20:56
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