2001年09月03日
◆共感と反感
島田伸助曰く「意識することや、意識すれば知識は自然と身に付く」とのこと。
いや~、このおっさん、本当に侮れませんわ。
大概の事ってこれだけの差だと思うんですよね。
むろん、意識するだけではどうしようもない難度の事象もあるでしょうけど、生きていくうえでの知識のほとんどは、意識するかどうかで変わってくると思うんです。
その点、常に何らかの点で意識し、考え、それを積み上げている人の蘊蓄(うんちく)ってのは、私にとって、大変貴重な材料です。
個人的には、物質的、時間的制約って、大変大きいと思っています。いくら自分が経験を意識的に積んだところで、それは私の狭い制約の中でのものでしかありません。むろんそれが私を形成するコアとなる部分だとは思うし、意識をしてしっかり形作って行かなきゃならないとは思うけど、その周辺部の、淡い「疑似経験」の裾野を広げられるかどうかで、大きな違いが生まれてくるんじゃないかなぁ、と。
ただ、個人的に疑似経験の咀嚼の仕方として、反感が多いような気もしてます。
今の世の中、仕方無い部分もありますが、もうちょっと他人のプロセスにも「あやふやな共感」だけで留めても良いのかなと。
少なくとも、直接当人に、その旨意思表示をしてしまうのも、人を選ばないといけないでしょうかね。
誤解とは言わないまでも、よく曲解されてしまうのは、私の至らない所でしょう。
でも、私個人に留めれば、共感も反感もそれほど大差ないとも思っています。
少なくとも、自己の上っ面の感情とかが過度に表に出ない限りは。
まぁ、相性ってのはあるわけで、感情が絡むのは否定し得ませんし、相性が合わないと、向こうがいくら見識を持っていたからと言って、こちらの吸収力が下がってしまいますから、なかなか難しいのですが、相手の生き方を咀嚼する手段としては、共感と反感がない交ぜになって出てくるものですから。逆に、全肯定や全否定は、私の場合、よほど感情が雁字搦めに出てこない限り、無いですね。反感ってのは、拒絶じゃ無い以上、また、感情に振り回されすぎない以上、便利な咀嚼の仕方だと思うし。
私の友人には、人の「うまみ」を引き出し、スポンジのように吸収する御仁がいます。
消化能力が悪く、もうちょっと噛もうとして、ついつい否定的反応を投げ返す人間からすると、羨ましくはありますね。っていうか、ずるい(笑)。
まぁ、人の反応ってのにも、もう少し「意識」する事にします。
(ちなみに、特に最近対人関係トラブルが増加したから、こんな事書いている訳では無いです(笑))
