2001年09月15日
◆道義と功利、そして力
朝日の昨日の朝刊の社説、読みました。
先日の社説と違い、何が言いたいのか見えました。依然奥歯にモノ挟まったような書き方ですが。
まず、認める所は、考え方のフレームワークとしてはほぼ同じ考えを持っていること。
報復だけでは解決しないし、日本としては感情に流されず、道義の通った形を説いて行きたい。
国際テロに向けた、国際的な枠組みを広げる必要もある。
少なくとも、思考停止レベルの発言では無いですし、一貫性もあります。
ただ、根本的な認識で違う部分があるため、意見は違います。
ちなみに、朝日は武力行使自体に批判的ですが、道義と功利とで説明している部分が、朝日らしくないというか、随分驚きました。この軸で見てみます。
まず、道義的部分から。
朝日さんの主張は、「武力攻撃は良くない」という一言に尽きます。
理由は、先に述べた解決にならない、ということ。
もう一つは、国際犯罪として裁けばいいんじゃないか、ということらしいです。
まず、後者には、主権国家の限界、国際法の限界を言いたいです。
アメリカが常にアラブ諸国の内政に関与し、常に徹底して取締ができれば、こうしたやり方で問題無いですが、そうも行きません。
国際犯罪といった国際法が実効的に機能するのは、当該国際法に関係国が真摯に協力するか、あるいはユーゴの例のように、その国が統治不能の状態に陥ったときだけです。
そして前者には、だからこそ実効性を確保する手段として、武力行使が容認されている事を言いたいです。
むろん国際テロというものは、国際法上の主体ではないため、容認とか簡単には言えない部分もあります。
でも、アメリカは自衛権、NATOは集団的自衛権を考え、さらに、おそらく国連決議の形で武力行使容認決議が出るでしょう。それなりに法的な(そして道義的な)論拠付けをするわけです。
確かに武力行使によって、解決にならない部分もあります。
しかし、実効性の無い道義を掲げて、放っておいたら、余計解決にはなりません。
大量殺戮を許すような制度を組み上げるわけには行かないでしょう。
少なくとも、能動的に、実効的に国際社会を守るためには、武力行使もしなければなりません。
もう一つの功利的部分。
「武力攻撃へ協力すると、日本の安全保障の枠組みが崩れるだけでなく、イスラム社会を敵に回すから、日本の国益にならない」ということらしいです。
安全保障云々は一概に功利的とは言えませんが、後者は功利的な説得と言えるでしょう。
こういう功利主義的国益を朝日が考えるようになったとは、随分驚きました。
確かに功利的な視点は大事です。なんだかんだ言っても、算盤勘定が第一です。
アメリカさん、およびブッシュ政権も、今回の行動には、そりゃもう、たーくさん功利的思惑はあります。
ただ、道義に反するような功利というのは、立ててはいけません。
朝日の論理では、道義に反していないと言うでしょうが、道義に大きな穴があると見られる以上、功利が先に立っていると見られても仕方無いのではないでしょうか。
ブッシュ政権は、タリバンの殲滅まで考えているような節もあります。
個人的には、武力行使はテロ集団に限定し、タリバンは存続させつつ矯正するのが良いと思ってます。
日本も、その線でやって欲しい。
ただ、日本には上記の、少なくとも共有している道義性を実現するような力すら無いわけですから、おのずと発言力にも限りがあります。
功利を道義が覆い、力が補強する。国際社会における三者の関係はこういったものなのです。
説得する努力はして欲しいですが、最終的には多少暴走しようとも、粛々とアメリカに着いていく。
そして、協力できる部分が厚くなるように努力する。
よりましな道義を実現するためにも、そして功利的に考えても、これしか無いでしょう。
