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2005年01月11日

◆他者不在か、過剰な信頼

今日は自分への戒め含めて、毒吐きます。

何かWEB日記とか論評とか小説とか読んでいて、最近思うのは、
自分しか見えていない、自分だけの論理と感情が頭の中で回っているのかなってモノが多いこと。
入出力の間には、自分の頭しか基本的に関与できないものですし、日記に至っては人のこと言えない状況ではありますが(笑)、それにしても、何か他者への関心、社会への関心が希薄なような、そんな気がしてなりません。

別に、昔あった教育テレビの対談のように、社会問題について発言しろとかってんじゃないです。
金も名声も伴わずそんな事書くの趣味にしている人間は変な奴と思っていい(ちなみに伴って書いている方は、よっぽど疑った方が良い)。
ただ、精神的に自分の籠の中にあまりに囚われすぎ、自己と、自己の中の超越的なるものだけに向き合っている状態が多いような気がする。毒を込めて分かりやすく言うと、自分と「白いお城と花咲く野原」です。

超越したものを考えること自体は至って健全です。
同じにするなと言われそうですが、
アニメの主人公を自己同一視して、人ならざる力を手に入れた自分を空想するのも、
死について考えるのも、
いずれも人としての性であり、考えている証拠でもあります。
ただ、基本的にこの状態では自分にとってしか意味はありません。

が、死ぬこと実践すると、自分に意味があるって考えられるかっていうと考えられませんから、何らか他人に意味があるって考えてると思わざるをえません。
でも、死ぬことでは、
こんな事良く考えていない人にとっては、3面記事の一欠片です。所詮他人の死なんて忘れるものです。
逆に良く考えている人にとっては自分の死と同じで意味なんて無い。また意味づけしようものなら滑稽に思うでしょう。「もののけ姫」で生きろって言われるのと同じで。
安直な共感を得たり、他人と思えない人を悲しませたりするという点では、意味づけできなくも無いですが、これで意味づけするのは、不可避の自己犠牲以外では、今の私には悪趣味としか思えない。

何言っているのか自分でも分からなくなってきましたが、
自分が支えられないような時ほど、もう少し他者に関心を持つようにして欲しい、ということです。
所詮他人事ですが、逆に世の中全て他人事の自分にとっては、全て同じようなもんで。

Posted by mino at 2005年01月11日 01:38
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