2005年03月04日
◆法と道徳
えー、例のライブドアの件に絡んで今日も小難しい話。解釈学でない法学です。
ですから、仮処分の行方に関心の皆様、全く役に立たないので御退出下さい(笑)。
・ライブドアが時間外取引かつ市場内取引という論法で1/3以上の株を買ったり
・ニッポン放送が新株予約権を他の株主の同意無く、大量に発行したり
マスコミ的に定型化された表現で書けば、「社会が複雑になり、法律のグレーゾーンが発生している」ことになります。
事例的には上の方だけで十分なので、それに基づくご発言より。
まず堀江社長。
「証取法のルールにのっとって取得した」
これは書かれた法(実定法)以外は許されるという主張。いわゆる古典的な法実証主義の考え方です。法学として始めに習う「法と道徳の分離」はここから来ていて、古典的といえど近代法学の原点と言えます。
そこである公務員のHPのご発言。
「ホリエモンはルールとは法文上明記された禁止事項を指しています。それに対し、「世間一般で言うルール」とはそうではありません。」
「何でもかんでも法律で決めなきゃあかんのか?正直思います。」
全うなルールは、法の欠缺(不備があること)への解釈論に陥る事も防ぎますし、法が道徳から著しく離れることも防ぎます。また、安定性も高くなります。
ちなみに戦後の法学では、実定法一辺倒の法実証主義から、この手の「ルール」をある程度重視する見方に学説が変わってきました。一例ではハートの「ルールの結合」の話で、法律とは「責務を課すルール(1次ルール)」と、「法の制定と裁定のルール(2次ルール)」が結合したものと言っています。おおざっぱに言えば、共通の道徳の裏付けを根拠として明文化されたものが法律と言うわけ。加えて、裁判の解釈も、私法では判例法、条理、慣習法といった、制定法以外の実定法が重きをおき、実質、法制定機能を裁判所が持つようになっていると思われます(一応判例法は認められていませんが)。
さて、両方の言い分がごもっともな上での私の意見ですが、日本では後者の考えを取るには結構危険もあるような気がします。何故なら道徳が安定していないからです。正確に言うと事象でなく対象によって判断する部分が多く、こんな1次ルールでは平等が保てそうもないからです。
まぁ、できるだけ古典的な解釈論に基づき、2次ルールで処理(解釈が分かれる問題は裁判の裁定で解決)という流れで粛々とやって貰うのが良いと思います。
